【海外のXmas】フランスのクリスマスに欠かせないもみの木、そのいわれとは?
フランス人にとってクリスマスとは、家族が一同に揃う1年のなかでもとりわけ重要な一大イベントだ。そしてもみの木は、海外のクリスマスを彩る上で欠かせない存在となっている。
【海外フランス】もみの木選びはクリスマスの一大イベント
フランスの一般的な家庭では、11月の半ばが過ぎて本格的な冬支度が始まるのと同時に、クリスマスの準備が始まる。そのクリスマスへ向けてまず一番始めにすることとは、もみの木選び。カトリック教会の待降節(アドベントと呼ばれる、キリストの降誕を待つ期間)にあたるクリスマスの4つ前の日曜日(11月27日から12月3日頃)前後から、フランスではもみの木が市場に出始める。
多くのフランス人にとって、家庭に飾るクリスマスツリーといえば、作り物ではない本物のもみの木を指す。商業施設や飲食店などにおいては人工のもみの木が置かれている場合もあるものの、写真のように本物のもみの木に特殊なスプレーで装飾を施した、本格的なデコレーションが見られる例は決して珍しくない。
フランスのクリスマスツリー人気品種は、コーカサスモミ(Nordmann)と欧州トウヒ(Epicéa)の2つ。2002年あたりまではほぼ同率のシェアだったといわれる2品種だが、近年はその枝振りのよさや比較的耐久性が高いことなどから、コーカサスモミが主流となっている。
現地新聞社の発表したアンケート調査によれば※、実に70パーセントを超えるフランス人が、クリスマスツリーとしてコーカサスモミを購入しているという。コーカサスモミは他の品種より3-4割ほど値段が高くなるが、普段は倹約家のフランス人たちも、こういうところでは出費を惜しまないのである。
なぜクリスマスにもみの木を飾るようになったのか?
クリスマスにフランスまたはヨーロッパの多くの家庭でもみの木が飾られるようになって久しいが、この慣習はどこから来たのであろうか。
言い伝えは諸説あるものの、もみの木を「若きイエス・キリストの木」と名付けたキリスト教の宣教師、聖ボニファティウスの説が知られている。時を遡ること7世紀の終わり頃。聖ボニファティウスは、当時のフランク王国(現在のドイツ)で崇められていたオーディン(北欧神話の主神)へ捧げる生贄が吊り下げられていた樫の木を嫌悪し、切り倒してしまった。
その時、粉々になった樫の木の横から力強く生えていたのが、もみの若木だったという。こうしてもみの木は「キリスト生誕のシンボル」としてドイツや北欧を中心に広まっていったとされている。
フランスにもみの木が初めて入ってきたのはドイツ国境のアルザス地方で、1521年のこと。その後クリスマスツリーとして室内にもみの木を飾るようになったのは1738年。国王ルイ15世のもとに嫁いだポーランド出身のマリー王妃が、ヴェルサイユ宮殿でもみの木を飾り始めたのが最初だという。そしてこの習慣は王室から徐々に貴族・ブルジョワ階級そして庶民へと伝わり、現代に至っている。
もみの木デコレーションの起源はりんごやお菓子だった!
現在もみの木のデコレーションは、球状の飾りやガーランド、そして電飾がポピュラーだが、フランスのアルザス地方に入ってきた14世紀当時のもみの木には、赤いりんごや砂糖菓子、そして小さいケーキなどが飾られていたそうだ。
赤いりんごはアダムとイブの禁断の実、小さいケーキはホスティア(カトリック教会でミサの際に食べられるウェハース状のパン)を象徴していた、という説が有力である。
もみの木にりんごや胡桃などの果実やクッキーを飾る習慣はしばらく続いていたが、1858年の干ばつの際には作物が不足し、もみの木を彩るための十分な果実が確保できないと人々は頭を悩ませた。
そこでフランス東部ロレーヌ地方マイゼンタール近郊のガラス職人が思いついたのが、果実の形をガラスで再現することだった。ガラスでできた球状のもみの木デコレーションはこうして誕生し、現在もフランスで根強い人気を誇っている。
海外特にヨーロッパの人々にとって冬の大イベント、クリスマス。
この時期にフランスで欠かせない存在となっているもみの木を、今年のクリスマスにはご家庭にひとついかがだろうか。